【クラシック話】ヴィルヘルム・フルトヴェングラー作曲「交響曲第2番ホ短調」【好きな音楽紹介】
Ricca - 3月 28, 2024
おはようございます、立夏です。
今日は、ふと書きたくなったので開いてみたのです。
題材は、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーというドイツの作曲家・指揮者の作曲した交響曲のうち2番目のもので。
おそらく、この作曲者では音源も最も充実してそうですし……
▼ヴィルヘルム・フルトヴェングラー作曲「交響曲第2番ホ短調」フル動画
作曲者自身の演奏も多く残っているものの、この作品のオーケストレーションの良さを聞くのはステレオ録音の方がいいと思ってこちらを貼りました。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886年〜1954年)と言うと、クラシック音楽ファンの方が指揮者として認知しているのが大半だと思うのです。
活躍された時代としては1920年代頃から1954年に亡くなられるまでがメインで、代としては戦中派くらいですね。
この当時の音楽家の常として、教養として作曲やピアノ演奏を学習していたようなのです。
例えば、ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーの若い時に作曲した交響曲、アルトゥーロ・トスカニーニの作曲したピアノソロによる子守唄なんて、今から考えればレアなものがあったりします……
但し、大半の人は作曲の筆を折って指揮者の道へ専念していった様子なのですが。
クラシック音楽ファンの間では、このフルトヴェングラーの交響曲第2番は難解で、理解なかなかできない音楽として余り良いイメージでは語られないものです。(専門書の批評でも好意的な意見は少なめ……)
もしくは、存在は知っているけれど聴いたことがないか。
私自身が作曲という行為にのめり込むきっかけを持ったのは、そんな誤解されまくっている近現代の一見、晦渋(かいじゅう)で人を寄せ付けない音楽からでした。
私も一応、10代前半よりクラシック音楽は好きであったので、フルトヴェングラーの指揮するベートーヴェン演奏は時折聴いては、音楽に対してちゃんと感動する。
そんな体験を頻繁にしていました。
その延長線上、そういった感覚で耳にしたのがフルトヴェングラー作曲の「交響的協奏曲ロ短調」(実質のピアノ協奏曲)でした。
不思議なことに、一般的な評価は低いこの作品がとても好みの曲調であった縁で、併録のこの交響曲も聞いたのです。
(メモリーズというレーベルから出ていた、2枚組のCDに両者が収録されていました。)
まず、この曲の良さを少しでも理解したいのであれば、第1楽章の冒頭から聞くのはお勧めしません。
それでは、何もわからずに挫折してしまうリスクが高いかと。
若干遠回りですが、変拍子をうまくロマンティックに処理した楽曲だと思っているコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲ニ長調の第2楽章のような音楽で変拍子に体感慣れた後で、この交響曲の第2楽章を聞いた時に改めて感動できました。
ピアノ協奏曲よりも、形式が保守的でわかりやすいですし。比較的……
このシンフォニーって、全体の拍子のチョイスに一捻りある音楽なのです。
第1楽章は6拍子。通例は4拍子なので、既に個性的ですね……
これは、同じく6拍子のブラームスの交響曲第3番の第1楽章を聞いた後だったので個人的には抵抗ないです。
もし、未聴のお人であればそっちから入ってもいいかも?
さて、問題の第2楽章ですが、ここはかなりの変拍子の込んで、音響的にもモダンでオシャレな音楽です。
基本は4拍子で、でも時折変わっています。
何度も聞き込んだ率直な感想として、「ただただカッコイイ音楽だな」って印象を持ちました。
後期ロマン派らしい圧倒的に豊かなオーケストラの音響で繰り広げられる、最高に刺激的にヒリヒリするようなスリリングな音楽性。
後半の追い込みを聞いていると、まさに指揮ぶりを思い出すくらいには、本心から「フルトヴェングラーらしい」作品だと思いました。
クラシック音楽の長編って好きな部分を一つでも見つけたらそこを集中的に聞き込んでいくのがこの曲限らずでいいんですが、私の場合はこの第2楽章と、4拍子のスケルツォである第3楽章からハマっています。
作曲者自身の思索を生で体験していくような、ある意味、自分に愚直なまでに素直な音楽創作。
そうした作品って、個性が強くなってしまうので好きな人と好まない人は出てしまうのに……
そんな賛否両論を浴びてでも、自分の本音を音楽で書きたかった。やむなき衝動、創作欲に忠実なというのですか…
誰もが、この交響曲を称賛しなくてもいいんです。
私にとっては、このフルトヴェングラーの作曲した巨大な静寂が大傑作であり、個人的にちゃんと本心から仲良くなれた音楽作品なんですから。
立夏